8月30日の選挙特番をザッピングして、twitter.com/naradioにメモを書いた。イヤという程、どうでもいい事を。それら材料をどう調理するか、悩むところ。
さて早速、55年体制のもと続いてきた「日本の政治システムを変えることが出来るか」という大きな実験が始まった。9月1日の概算要求は一旦先延ばし、新政権の意向に沿うらしい。こんな時に選挙をすると言ったのはどこの麻生太郎か。八百万の神のどなたかが官僚主導は自民党政権を何十年もしてしまった結果なのではないかという視点から考えてみるいい機会を授けた。程度に考えた方が気が楽だ。
民主党が政権を採る事についての大いなる不安は確かにある。賛成/反対の基準が時としてポピュリズムだったのではないかと考える。自衛隊のインド洋給油とか。野党は野球場の外野スタンドで大声上げるヤジと同じだ。政権を担わないだけ好きなことを言えるからだ。今度は自民党が公明党が気ままに思う存分醜文を浴びさせればいいのだ。
ところで、民主党はリベラルなのか?民主党にはリベラリストも保守論者―最近では愛国論者とか歴史修正論者が大勢か?―もいる。つまり自民党議員が抜け出して作った党ではなく、旧民社党議員もいれば旧社会党議員もいるということだ。尤も西村眞悟は離党しているが。
もちろん自民党は結党理由の一「保守合同」が意味するような保守政党かといえばそう言いきれない部分がある。1955年以来第一党であり続けたが、保守一辺倒ではなかったはずだ。社会保障政策は地方自治体が革新首長によって社会保障を実行し、それが国政レベルにおいても適用されたのだ。たとえば公害対策。それをする事イコール人気取りのイメージが付き纏う。が、それこそポピュリズムだったりする。
民主党は大きな政府を標榜すると言われている。「子育て手当て」が代表格にあげられる。一方で高速道路無料化は自由主義経済なのではないだろうか。麻生政権が時限つきでETC大幅値下げを実施しているが、これには(輸送)トラックは含まれていない。
選挙当日とその翌日、自民党議員や幹部へのインタビューで「健全な野党」と「保守」がキーワードとして出てきた。久しぶりの野党ライフへの牽制と、自民党は保守政党なんだから、この2点を指す。しかし、今の日本の二大政党は保守もリベラルもへったくれもない。「保守/リベラル」を対立軸にして二大政党が形成されたわけではない。なのに自民=保守、民主=リベラルとして考えるのは甚だおかしい。単純な二項対立にたってディベートするのは面白い。しかし、個人レベルで二項対立を単純化させてしまうこと、それはその本人が『思考の放棄』を宣言しているようなものだ。
保守とリベラルという対立軸は非常にシンプルでわかり易い。だからアメリカでは報道機関、特にニュース専門チャンネルで「保守/リベラル」という対立軸を非常に好んで使っている。チャンネルごとに色分けされてしまう次第だ。
しかし、今の日本の国会と政党に関して言えば「保守/リベラル」という対立軸は成立しづらい。二大政党が保守/リベラルを内在させて成立している。それは「対アメリカ問題」と「対”特定”アジア問題」(“特定”と区別したのは皮肉です)をマッシュアップしないからだ。
保守もナショナリスト(愛国論者)も根底は同じだ。他人を信用しない事、性悪説を前提にして、ホッブスが唱えた社会契約論に基づき、国際関係論の現実主義を社会レベルや個人レベルにもあてはめる。諺にあるように、自分を守るには攻撃が大事なのだ。しかし、現在、保守は簡単に問屋が卸してくれないらしい。保守にもポピュリズムが浸透しているのだ。(リベラリズムなんてもっと前から・・・)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 buzz:
コメントを投稿