レイティングだけでいえば、1990年代はMBSラジオの全盛期だった。中学生だった私もそうで、夏休みには馬場章夫や角淳一なんかを聴いていた。
2006年4月以降、最も聴かれているのはABCラジオである。
1. 長寿番組をざっくり紹介
MBSの浜村淳と並ぶ朝の顔”おはパソ”こと、『おはようパーソナリティー道上洋三』、『フレッシュ9時半キダ・タローです』、『ポップ対歌謡曲』などが1980年代を代表する番組。1990年代以降は『上沼恵美子のこころ晴天』、”ヤンリク”の後継『ミュージックパラダイス』に深夜の『3時です もうすぐ夜明け』などが長寿番組。
2. 日中の変化
以上が主な番組だが、1990年代以降は日中の番組は長くても4-5年でリニューアルする、そんな時代でもあった。キダ・タローの後は長沢彰彦は1年で終了するが、月亭可朝、安部憲幸『アベ9ジラ』、乾龍介『東西南北龍介がゆく』と、結果として4年毎で交代していったのだ。(乾龍介は4年半)
2003年10月、新番組『全力投球!!妹尾和夫です』と新生『元気イチバン!芦沢誠です』がスタート。土曜朝から異動してきた妹尾による、『全力投球』は昼間の2番組を統合して4時間20分の放送。2001年にミューパラから異動の芦沢による『元気イチバン』がスタート、2003年10月に野球中継の前座番組を統合した2時間半の放送、ナイターオフには3時間以上の放送に拡大。
MBSの体力低下?の事もあり、2006年から聴取率で首位に立つのだが、万全でもなかったのかもしれない(予算において)。2009年7月「という時期に」変わったのだ。あれから6年と3ヶ月。妹尾和夫は降板して、土曜の朝の『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司』が異動となった。
3. 夜間
一方、夜間にも大事は起こる。ミューパラこと『ミュージックパラダイス』が終わったのだ。1966年10月に始まった『ヤングリクエスト』は深夜放送の記念碑として存在する。ヤンリクの丸20年に渡る放送の後、86年からしばらくは1年ごとリニューアル・改編が続く(現在のMBSラジオみたいな)。1991年1月にミューパラが開始。1993年にヤンリク時代の「男性アナと女性タレント」コンビが定着。1998年から土曜日の放送が開始、2008年まで10年間放送した。
放送時間は午後10時からの3時間だったが、2008年4月からは午前1時台の番組が繰り上がって12時終了、半年後に元に戻る。2009年4月、午後9時台の『ミュージック21』を統合して、9時12分開始の3時間48分となった。その3ヶ月後、金曜日のみ残して終了する。
7月からはネット受けが5時間となる。9時台『フレッシュアッププラス』(野球中継のつなぎ)、10時『銀河Gメンタクヤ』(ニッポン放送)、12時『レコメン!』(文化放送)、1時『JUNK』(TBS)と続いて3時から『もうすぐ夜明け』。補足すれば『銀河Gメン』はラジオ関西で、『レコメン!』はKBS京都でも放送している。TBSの午前1時から3時は『スーパーギャング』以来、およそ20年ぶりのネットとなり、姉妹番組の『JUNK ZERO』はMBSラジオで2008年10月から放送している。
4. で、考えてみた。
今回の特徴は自社製作する、特に生放送番組の時間が大幅に減ったという点。それだけ予算を抑えられるが、基礎体力の低下にも繋がる(という風に連想させられてしまう)。そう思う―心配と言っていい―にも理由があって。「ラジオは広告収入の減少に伴い、斜陽にある」という認識の下では次に復活したと仮定した場合、休止した時よりも労力を要するのではないか、スタッフを抑えるなりしないと成り立たないのではないか。だから、今回は余計に心配してしまう。
ほかにも、FMにライバルが居て、FM Osakaは 『School of Lock! (スクール・オブ・ロック、以下SOL)』 を放送し、FM802は去年の10月に 『Rock Kids 802 (ロックキッズ802)』 が引っ越してきた。ロックキッズのDJのひとり、浅井博章のHPによれば、夕方のロックキッズとは別の制作会社が関わっているという。確かに新たにアシスタントが登場し、ターゲットを狙って放送しているように見える。それこそ、ミューパラやSOLと重複する、中高生ではないだろうか(と、私は思う)。
ABCが自社製作を再開した時、ミューパラの復刻かもしれないし、そうでないかもしれない。
と、いうより、ミューパラはまだ終わったわけじゃない。金曜日のみ、9時12分から12時前まで『ミューパラアグレッシブ』を放送する。ABCラジオはどうなるのか、5年後に次の20年を支える番組が生まれるのかもしれないが、それまでにラジオをめぐる環境が大きく変わっているに違いない。
0 buzz:
コメントを投稿